2015年04月03日

ただ自分の無力さを悔いるばかり


私は頭が良い。

たぶん総人口の上位1%には楽勝ではいるだろう。

IQが高かったのだ。
子供の頃に学校に変な大人が来て、特殊な施設に、そこの変な教室に連れて行かれた。
そこではベテラン教師によるその他大勢がうける授業とはまったく違う教育が私に施された。

中学時代、塾にも行ってないし、宿題も忘れる私の偏差値は教科によって差があっても64〜70ぐらいだったように記憶している。

高校受験をしないで、楽器をかうために中卒で働くという選択をした私にたいして、周囲の大人たち、おもに教師たち嫌がせにも似た圧力のかけ方はほんとうにひどかった。
毎日のように当時の私の保護者・・・血の繋がらない育ての親たちに日参してたのも。
難易度の高い高校に、卒業生が進学したという実績が欲しかったんだろう。

幸いなことに私の養父は私の進学がなくなれば入学金などがかからないと考えるゲスな人だったので。
高校に進学しないという私のワガママは許容された。


その後、卒業して、新聞の朝刊配達、ライブハウス、レストランの皿洗いなどと掛け持ちしつつ、シンセサイザーなどの楽器のローンをしはらった・・・。


これが私の10代後半のスタンスだ。


それから20年がすぎ。

それなりに経済力も手に入れた私はおっさんにはなった。

いわゆる印税生活で、毎日ベッドで寝てたってお金は入ってくる。

がしかし、経済力を手に入れてもどうしようもない問題がある。

それは病気だ。


白血病。
ガン。


ただただ、病気の前では無力で。

何もできない自分に凹む。

高校受験をしないで仕事をする選択をした、その当時の自分の方が怖いもがなかったと痛感する。

大切な人が、ただただやせ細って死んでいく。

私の商品価値は頭脳だ。
頭の計算能力に商品価値があるから20年以上も音楽、芸能の世界で生き残って来れた。

でもね、病気の前ではなんの意味もない。

ひとよりすこし周るあたまで遺族の法的な相続にかんする手続きのサポートをすることはできる。

でも、こころに寄り添うことはできない。


どれだけの年月を生きて。
どれだけの悲しみを目にして。
どれだけの人生のつまづきと、そこからの脱却を目にしてこようとも。

私は・・・いまでもなお大切な人を失った悲しみに沈む人に。
かける言葉が見つけられないでいる。


だから、このブログを読んでいる若い君たちに、おっさんからのお願い。
もし、目の前に悲しみに沈んでなにも見えなくなっている人がいたら

ただ、抱きしめてあげてはくれまいか?

そのぬくもりは、100の言葉を費やすよりも、きっと相手を救うと思う。


このブログを読んでいるアナタに頼む。

この先、いつか誰かに寄り添ってあげたいと思う時がくるだろう。


その時はどうか恥ずかしがらずに、「大丈夫だよ」とかそういった言葉をかけてあげてほしい。

血の繋がらない赤の他人に言われることで救われる魂がほんとうにおおいから。

たのむな。
posted by サムライX at 21:29| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする